1.歴史の道百選

文化庁

 平成8年11月

 文化庁選定「歴史の道百選」について

 「歴史の道百選」は、全国各地の最もすぐれた「歴史の道」=街道・運河等を選定したものです。歴史の道及び地域の文化財への国民の関心と理解を深めることを目的に、文化庁が昭和53年から都道府県教育委員会の協力により、日本全国で行われた歴史の道の調査・整備・活用事業の実績と蓄積を踏まえ、平成8年11月、選定委員会により第一次選定が実施されました。この第一次選定では、主に明治時代まで活用された78か所の街道・運河が選出されました。選定基準としては、原則として「一定区間良好な状態で残っているもの」「他の地域との連続性を持っているもの」で、「単体または単独の交通遺跡」や「現用の舗装道路」は条件つきで選定の対象外となっています。また「信仰関係の道は、広域の信仰圏があるもののみ対象」となっています。

 山形県内では、

  出羽・仙台街道―中山越・山刀伐峠越

  羽州街道―金山峠越

  米沢・福島街道―板谷峠越

  万世大路―栗子峠越

  越後・米沢街道―黒沢峠・大里峠・鷹ノ巣峠越

  出羽三山登拝道

 が選定された。

万世大路―栗子峠越

 明治9年(1876)に初代山形県令三島通庸により工事が進められました。三島通庸は建築や土木施設の近代化を強力に推進した県令で、現在でも山形県内には三島通庸が携わった公共工事の遺構が数多く残されています。当時の山形県の主要道路としては羽州街道と隣接する米沢街道がありましたが、何れも近代交通とは縁遠く、急峻で工事には不向きと思われた為、新たな経路と技術が導入され万世大路が計画されたと思われます。

 万世大路は難工事が多く苅安隧道、栗子山隧道、二ツ小屋隧道の3隧道があり、中でも栗子山隧道は当時日本最長とされる866mの距離があり困難を極めました。さらに、反対意見も多く、工事費や人員を嫌がる農民達から強制的に徴収した為、当初は行き詰りましたが、弾圧により強引に工事を進めようやく明治13年(1880)に栗子山隧道が開通しました。

 明治14年(1881)に前線開通の際には明治天皇から「萬世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ」との御言葉を賜り、それに因み「萬世大路」と命名されました。その後、国道3等に指定され、明治18年(1885)には国道39号となりましたが、明治32年(1899)に奥羽本線が開通し、昭和41年(1966)に国道13号線が開通になると交通量が激減し昭和47年(1972)に栗子隧道で崩落が起こり事実上の廃道となっています。

2.近代化産業遺産 

経済産業省

 平成21年2月

 近代化産業遺産は、日本の経済産業省が認定している文化遺産の分類で、2007年(平成19年)11月30日に33件の「近代化産業遺産群」と575件の個々の認定遺産が公表された。さらに2009年(平成21年)2月6日に近代化産業遺産群・続33として、新たに33件の「近代化産業遺産群」と540件の個々の認定遺産が公表された。幕末・明治維新から戦前にかけての工場跡や炭鉱跡等の建造物、画期的製造品、製造品の製造に用いられた機器や教育マニュアル等は、日本の産業近代化に貢献した産業遺産としての価値を持っている。しかしこれらの産業遺産は、よほどのもの以外はその価値が理解されにくく、単なる一昔前の産業設備として破却されてしまうことも多かった。経済産業省は、産業遺産を地域活性化のために有効活用する観点から、2007年4月に産業遺産活用委員会(座長:西村幸夫東京大学大学院工学系研究科・工学部都市工学科教授)を設置し、日本各地に現存している産業遺産を公募を開始し、公募に応じて集められた約190件400か所の物件をはじめとする各地域の産業遺産について、その実態と保全・活用の取組み状況を調査し、産業遺産の価値の理解を深めるための「近代化産業遺産ストーリー」の作成を行った。幕末から戦前にかけて、わが国の産業の近代化を支えた建造物・機械などが、近代化産業遺産として注目されている。

山形県では平成21年2月、26件の遺産が「近代化産業遺産群 続33」として経済産業省より認定された。

 首都東京にむかう表玄関「萬世大路」栗子山隧道(米沢市)『栗子山隧道』は、明治初期に「東北地方の産業復興の基盤」として建設された山岳トンネルで、当時としてはわが国で最長の隧道であった。首都圏と東北地方を結ぶ大動脈である栗子隧道の開通は、物流を安定させて経済の発展を促し、人々の生活に豊かさをもたらした。

 初代県令三島通庸は、「山形県の発展の為には、米沢から福島経由で東京に至る道路の整備が重要である」との判断から、刈安新道の整備を行ない、その一環として栗子山隧道が施工された。それまで、奥羽山脈を越える山形・福島間の道路は、川越石から栗子山の南鞍部を通って福島市の大滝に至るもので、この峠は標高が高く地形は急峻で、道路としての利便性は低いものであった。そのため、往来する人々は板谷峠を越えることが多かった。

 栗子山隧道は1876年(明治9)12月着工、1881年(明治14)に完成、標高約900メートルの位置に掘られた延長870メートルの山岳トンネルで、馬車や人力車が通行でき、冬はそりでの通行が可能になった。工事の進行にあたっては、岩盤をノミなどで素掘する当時のわが国の土木技術では困難を極めたため、オランダ人技術士エッセールを招聘したり、当時世界で3台目となる穿孔機をアメリカから導入するなど、欧米の先進技術の導入にも積極的であった。

 完成の翌年には、明治天皇が東北巡幸の際に刈安新道を通過され「萬世大路」と命名された。

 その後、自動車による通行を可能にするため、1933年(昭和8)から1936年(昭和11)にかけて改修が行なわれ、これが2代目のトンネルとなった。(初代トンネルの名称は栗子山隧道で、2代目は栗子隧道と改称された。)

 さらに、1961年(昭和36)に新しいトンネルが着工し、1966年(昭和41)に完成した。これが現在の国道13号線で、トンネルとしては3代目となる。

【遺産データ】

 山形県米沢市万世町大字刈安字栗子森

   (栗子隧道は山深く、立ち入りは困難で、見学も不能である。)

 名称 : 栗子隧道

 竣工年 : 1881年(明治14)

 設計者 : 三島通庸

 施工者 : 三島通庸

 構造 : 素掘トンネル

 明治14年、明治天皇は山形巡幸の最終日、栗子隧道(刈安・中野新道)の開通式に臨席された。 そのときに飾られたのが、三島通庸が洋画家高橋由一に依頼して描かせた三枚の絵画である。一枚目は、栗子山隧道図(西洞門)で、文字どおり栗子隧道の完成を描いたものである。これは明治天皇に献上されて宮内庁の所蔵になっている。(栗子山隧道図(西洞門・大))

 二枚目は、明治14年に暗殺された内務卿・大久保利通の肖像画である。 東北地方開発の重要性を認識していた大久保は、三島の土木政策のよき理解者であった。これらの事業を支援した大久保に対して、その感謝の気持ちを込めたものであろう。(大久保甲東像 東京国立博物館所蔵)

 三枚目は、米沢藩の上杉鷹山公の肖像画である。栗子隧道の工事では、旧米沢藩や地元住民の協力が大変大きかった。また、かつて米沢藩でも隧道建設を企画したこともあって、三島は米沢の象徴である上杉鷹山公の肖像画を掲げて、地元への感謝の気持ちを表現したものである。 (上杉鷹山像 東京国立博物館所蔵)

3.選奨土木遺産

土木学会

平成24年10月6日

平成20年には、

 谷地河原堤防(直江石堤):慶長6年、蛇堤(蛇土手):慶長年間、御入水堰:慶長年間、猿尾堰:年不詳、堀立川:慶長14年、巴堀:堀立川完成以降、室沢堰:年不詳、帯刀堰:慶長18年

 以上が、「直江兼続治水利水施設群」として土木遺産に認定された。

平成21年には、

新橋:上山市:明治13年、覗橋:上山市:明治15年、堅磐橋:上山市:明治11年、中山橋:上山市:明治11年、吉田橋:南陽市:明治13年、蛇ヶ橋(別名:小巌橋):南陽市:明治14年、康寿橋:南陽市:明治末期か年代不詳、舞鶴橋:米沢市:明治15年、幸橋:高畠町:明治12年、幾代橋:村山市:明治22年、太鼓橋:南陽市:明治期か年代不詳

 以上の石橋群が認定された。

平成24年に、明治・昭和期の先端土木技術を駆使し、山形・福島両県の物流並びに人の交流と絆を育んだ歴史的地域資産であるとして、『万世大路』が選奨土木遺産に認定された。

 (起点)福島県/福島市上町~山形県/米沢市相生町(終点)

 竣工年:明治の新道開設:明治14年(1881年)

 昭和の大改修:昭和12年(1937年)

4.手作り郷土賞功績賞

国土交通省

平成27年度

 国交省所管の「手づくり郷土賞」は、地域活動によって地域の魅力や個性を生み出している良質な社会資本とそれに関わった団体のご努力を表彰するもの。また、これらの好事例を広く紹介することで、各地で個性的で魅力ある郷土づくりに向けた取組が一層推進されることを目指しています。

 万世地区は各戸から協力金をいただいて萬歳の松の保存活動や大路に関係する遺構の保存活動、ガイドを行っており、「手づくり郷土賞」として地域活動を世に発信する意味もあって応募したが、平成25年1月24日に福島河川国道事務所長の計画課長から地域の活動がまだ不足しているのが原因でないかとの審査結果で、非公表の落選報告を受けた。

 このため活動内容や応募内容を吟味して再応募したところ、平成27年の功績賞を受賞。

5.未来に伝える 山形の宝

山形県

令和2年2月

 地域にのこる有形・無形の様々な文化財(山形の宝)を保存・活用する取組みを、「未来に伝える山形の宝」として登録・推進することで、文化財の保護を図るとともに、郷土に対する誇りと愛着を育み、地域活性化や新たな交流の拡大につなげていくことを目的として創設されました。

 萬世大路は、「山形県の近代化の礎となった明治日本における最先端の土木産業遺産」として、令和2年2月5日に県庁知事応接室で登録認証式が行われました。

6.山形の応用地質100景 

山形応用地質研究会

 令和4年11月

第4年度2023.11.25談話会報告

 今から1,500万年前頃の栗子山は変成岩や花崗岩が隆起して会場に顔をもたげた多島海で、海底火山の活動が活発であったとされています。ここでの活動様式は粘性の高いマグマによる流紋岩質活動で、①噴出したマグマが細かく粉砕されて改訂に堆積した凝灰岩と、②マグマが水飴の様に改定で固まって円錐状火山を形成した流紋岩溶岩流に大別され、前者は栗子川の中下流に、後者は源流域に現れています。水冷で急冷された溶岩流はハイアロクラスタイト(水冷破砕岩)と呼ばれます。高温のマグマが急冷されるとガラス質となってひび割れが生じ、そこへ後続のマグマが押し出されるのに応じて岩片に分離して凝灰岩のような外見を示します。一つの火山体でも部分により海水による影響の強弱で岩質が激変します。栗子隧道脇の栗子沢を挟んだ西側の山体と隧道側では同じ流紋岩でもガラス質の混入量が違い、隧道側がガラス質が多くてやや脆い性質を持っているため、隧道掘削には向いていた。

7.全国山岳古道120選

日本山岳会

令和4年12月

 日本山岳会は創立120周年を迎えるにあたり、記念事業として古道、特に山岳古道の調査を全国的に行い、その中から120の道を山岳古道として選ぶことにした。選んだ古道は、文化的・歴史的・地理的な側面から探索調査してその記録保全につなげていく。記録した情報は広く一般社会、さらに後世にも残るような形で公開するとともに、新しい山の楽しみ方を提案し、最終的には書籍を作成する。

山岳古道名称     24 萬世大路 栗子峠

8.文化財愛護川崎浩良賞

山形県文化財保護協会

令和5年1月28日

 歴史の道土木遺産萬世大路保存会の活動は、現地案内・説明板設置・案内板設置・散策マップ作製・パンフレット作製・ガイドブック作成・解説DVD作成・ホームページの運営・オリジナル用品開発販売・環境整備・調査研究・会誌の発行・米沢市内小中用副読本製作協力・福島県との交流など、多彩な活動内容に亘っていることが評価されて受賞。