栗子山の植物

栗子古道を彩る樹木と山野草

 さわやかな谷風吹き渡る高原の古道。そこにはさまざまな雪国特有の植物が、それぞれにみずみずしい葉や花を開き、訪れる人をやさしく出迎えてくれる。

 古道周辺に生育する植物の主なものを解説する。散策路入口近くにあるヤマナラシは、深山性で樹皮にそろばん玉のような模様があり、葉柄は長く風に吹かれると葉がすれ、音がすることからその名がついた。ミズナラとコナラは東北の山地の代表種である。その上部にはブナの木が現れる。灰白色の樹肌に白い斑点が特徴である。ブナ林の下に必ず出てくるのがムシカリ(オオカメノキ)である。葉の形や虫食いから来た名という。

 ウリノキは低木で黄色い奇花をぶら下げる。エゾユズリハは赤い葉柄が目立つ。カエデ類ではヤマモミジ、ハウチワカエデ、ウリハダカエデなどが多数みられる。

 古道の名物はエゾアジサイの群生である。ガクアジサイの原種で、青い花(酸性土)、ピンクの花(アルカリ土)の二色がある。また希に白い花をつけるバイカツツジを見ることができる。その他大木になるとサワグルミ、オニグルミ、オノエヤナギ、カスミザクラ、オオヤマザクラなどが自生する。低木ではタニウツギ、リョウブ、ヤマグワが見られる。

 野草で目立つのはシモツケソウで普通花の色はピンクだが、ここには白い花のシロバナシモツケが自生する。また、ウワバミソウ(アカミズ)とヤマトキホコリ(アオミズ)の群生もそちこちに見られる。ところどころにニリンソウの群生も見られる。アザミの仲間ではオニアザミ、ナンブアザミが赤紫の花を咲かせる。その他ピンク色のヒヨドリバナ、ヨツバヒヨドリ、黄色い花のキンミズヒキやセンニンソウ、大きな葉をつけるサカゲイノデ、イヌガンソク、リョウメンシダ等のシダ類、セリ類ではオオハナウド、ミヤヤマシシウド、ノダケなど多彩である。風車のようなヤグルマソウも多い。栗子古道は恰も植物公園のようである。

氷筍

岩石

米沢市 萬世大路栗子隧道
“明治と昭和の坑口遺跡”

写真1 栗子隧道

図1 位置図

【事業経緯】栗子山隧道幅3間、高2間、長482間(876.3m)

明治9年10月14日 高木秀明(ひであきら)萬世大路路線調査に入る
明治9年10月28日 高木秀明は隧道掘るほかなしと判断して下山
明治9年10月30日 三島県令は隧道案を問題なしとして伊藤祐忠に福島の路線協議を下命
明治9年10月31日 山吉福島県令が二ツ小屋に露宿して第7回目調査
明治9年11月 福島山形両県新道開鑿結約
明治9年11月 4日 三島県令は県内関係区戸長と10等以下県官吏を県庁に集め、新道路建設方針と開削入費概算を示し、県民に費用を12月10日まで納めるよう賦課宣言
明治9年11月 7日 三島県令は、道路修繕開鑿ノ入費課出達を示し14万5千円を賦課
明治9年11月25日 苅安村隧道工事始まる(M10.2.11貫通)
明治9年12月18日 栗子隧道工事に着手
明治9年12月20日 苅安村新道栗子隧道工事を内務省に上申
明治10年 2月 三島県令は吉井友實から米国の蒸気器機情報を聴く
明治10年 6月30日 オランダ工師エッセルが現地指導に入る
明治10年 8月 米国新発明の穿孔機の注文(世界で3台目)
明治10年 9月29日 福島から坑口を8~9間下げて欲しいとの件で工師エッセル指導のもと協議し、変更判断はなくなった
明治10年10月28日 米国の穿孔器械が横浜に到着したと手紙が届く
明治10年12月21日 器械が栗子山に届き、直ちに自力で組み立てを始める
明治11年 2月 3日 削岩機稼働開始
明治11年 5月 福島側坑口からの掘削に着手
明治11年 6月 工師エッセルはオランダへ帰国
明治12年 2月 9日 三島県令家族が石巻港・仙台笹谷経由山形に入る
明治13年10月19日 栗子隧道の貫通
明治14年10月 3日 栗子隧道庶人通行開業の典、明治天皇を迎える
昭和8年~昭和12年 自動車規格昭和の大改修 (栗子隧道拡幅完成S10)
昭和41年5月29日 国道13号栗子ハイウェイ開通
昭和41年5月20日 国道13号廃道となる

【栗子隧道の地質概要・・・・・栗子隧道工事始末記より】
栗子山隧道ニ着手ス時積雪山ヲ埋ム 之ヲ排シテ工ヲ創ス 其岩石堅硬ナル事甚タシ
⇒ 山形県側の岩屑の記述

隧道ヲ穿ツニ當リテヤ朝ノ石ノ硬質ハ夕ニ軟質ニ變ス 硬質ニハ穿ツノ難キ歳月彌長キニ亘リ ⇒ 福島県側からの掘削岩石の記述と推測する

萬世大路 栗子山の地質

 萬世大路の山形県側は、最上川に架かる相生橋の左岸橋詰を起点として栗子山隧道までの約18.5kmのうち、国道13号や米沢市道を除いた、道路法の網から外された区間を保存会が歩きながらガイドしています。滝ノ沢の米沢採石プラント外れの瀧岩上橋から栗子山隧道までの4.1kmの旧国道13号区間です。

 瀧岩上橋の標高は550mで、この辺りの栗子川と小屋場ノ沢流域は泥岩で、令和5年秋には会員が川底で貝の化石を確認しています。ガイド区間中間部の標高750m辺りでは緑色凝灰岩の路頭が道路脇の斜面に確認することができ、標高876mの栗子山隧道坑口では流紋岩溶岩流を手掘りで作業した鑿跡が残っています。昭和の大改修で明治の隧道を拡幅盤下げした結果、福島側から一直線になっていなかった米沢側の坑口が残ったため、往時の掘削の痕跡をしっかり残っています。令和2年に山形の宝に登録されました。

 ここからは「山形応用質第43号 歴史の道萬世大路をめぐる地質 田宮良一」の記事から引用して説明を進めます。

 この辺りは約1,500万年前頃の海底火山活動によって変成岩や花崗岩が海上に栗子山等が頭をもたげた多島海と推測され、海底火山化活動の舞台であったと理解されます。ここでの活動様式は、粘性の大きなマグマによる流紋岩質活動で、1噴出されたマグマが細かく粉砕されて海底に堆積した凝灰岩と、2マグマが水飴のように海底で固まって円錐状火山を形成した流紋岩溶岩流に大別され、前者は栗子川の中下流に現れ、後者は源流域に現れています。

 溶岩流はハイアロクラスタイトと呼ばれ、水底で形成された特徴を備えています。高温のマグマが急冷されるとガラス質となってひび割れが生じます。そこへ後続のマグマが押し出されるのに応じて岩片に分離して凝灰岩のような外見を示しますが、一つの火山体でも海水による影響の強弱で岩質が激変します。栗子山における流紋岩溶岩流の出る断面図を示します。

歴史の道土木遺産萬世大路保存会 会長 梅津 幸保

図2 流紋岩溶岩流のモデル断面図

写真2 隧道西口手掘の跡