第一世代 明治~昭和初期
三島初代県令は荷馬車が通れる道路として、明治9年に山形県側の刈安新道を掘り始めました。
明治14年に開通した「萬世大路」の栗子隧道(延長約876m)は、日本初の長大トンネルでほぼ山頂に近い標高880mのところを通過していました。
開通当時の通行量は歩行者110人、小荷駄馬車40台という記録もあります。冬期間の雪踏は罪を犯した人が労役として行いました。
その後、明治32年に福島と米沢に鉄道が開通し、輸送は汽車に変わり通行する人はほとんどいなくなりました。
第二世代 昭和初期~昭和41年
昭和の時代に入り、人馬交通から車が通ることができる道路として改築され、昭和12年に完成しました(約870m)。
物資の輸送が便利になりましたが、これらのルートは冬は3mを超す積雪のため冬期の5ケ月間は通行不能。夏は霧の発生等厳しい気象の中での通行でした。
第三世代 国道13号
昭和30年代に入り、国内の経済発展に伴い進展した自動車交通に対応できるよう、ルートの見直しを行い現在の西栗子トンネル(2,675m)と東栗子トンネル(2,376m)による国道13号のルートに変更しました。
昭和41年に完成し、国道13号として利用され物資の輸送はもとより人事の交流、文化の交流に大きな影響を与えました。
山形県だけでなく、東北への玄関口として産業経済発展に大きく貢献しています。
第四世代 東北中央自動車道
道路の高速化に伴い、新たに8,972mのトンネルが平成27年に貫通し、平成29年に開通しました。
第一世代のトンネルに比べ坑口(トンネルの出入り口)標高を約440m下げることで、より雪に強く、信頼性の高い道路になりました。
この道路は東北中央自動車道と呼ばれ、物資の輸送での安全性と時間短縮といった利便性がさらに高まるだけでなく、人事や文化の交流にも大きな役割を果たすものと期待されています。