平成2年に防災除雪センター東側に建設省山形工事事務所(当時)によって開園しました。
明治百年記念の碑、萬世大路改築記念碑、明治天皇お休み処の記念碑(駐輦の碑)など多くの記念碑があり、その他に明治の栗子山隧道の手掘りのノミの跡レプリカや栗子隧道の説明板があります。
明治大帝之碑
栗子前行在所
大正11年(1922)11月に字栗子前(栗子隧道西口)に建立されました。この地に行在所を設け、明治天皇をお迎えして栗子隧道の開通式を挙行しました。
この碑は郡会議員我妻安雄の発起により、青年団事業として取り組みました。
碑面には、「風景の壮大なるを賞志給ふ」と刻まれています。
昭和44年8月1日萬世地区明治百年記念実行委員会で新旧国道分岐点に移転しました。その後、平成2年11月開園の記念碑公園に移転しました。
明治天皇御駐輦碑
高850幅600厚230
川越石
大正11年(1922)11月に字川越石に建立されました。この地は明治の現場事務所と監獄があった場所で、通称「官宅」と呼ばれていました。
米沢を発進された明治天皇が二度目の御小休をされた場所です。
郡会議員我妻安雄の発起により、青年団事業として取り組みました。
昭和44年8月1日萬世地区明治百年記念実行委員会で新旧国道分岐点に移転しました。その後、平成2年11月開園の記念碑公園に移転しました。
栗子神社の碑
高1880幅940厚330
三島通庸山形県令は、栗子隧道工事の安全を願い豊受姫尊(保食神)を祀り明治14年(1881)隧道西口山腹に檜̪祠堂を建立し、上杉鷹山、大久保利通を合祀しました。
その後、萬世大路改修工事の際萬世村長、中野村長ほかにより、昭和11年10月17日「栗子神社」碑を栗子隧道西口南側に建立しました。上杉鷹山、大久保利通、三島通庸を合祀しました。
昭和44年8月1日萬世地区明治百年記念実行委員会で新旧国道分岐点に移転しました。その後、平成2年11月開園の記念碑公園に移転しました。
萬世大路改築記念碑
高2320幅1200厚380
明治32年(1899)5月15日、福島米沢間の鉄道開通し、萬世大路を通る人や荷馬車が少なくなり、道路は荒廃しました。
昭和に入り自動車が普及し、萬世大路は昭和8年から自動車道路に大改修され、4年の歳月をかけて改修された栗子隧道はコンクリートトンネルとなり、東口は同じ場所で西口が少し北側となり坑口が二つになりました。
この碑は東口北側に建立されたものです。裏側に「昭和8年4月起工、同12年3月竣工。同工費878千円、内務省仙台土木出張所」と刻まれています。
昭和44年8月1日萬世地区明治百年記念実行委員会で新旧国道分岐点に移転しました。その後、平成2年11月開園の記念碑公園に移転しました。
明治百年記念の碑
高440幅830厚90
昭和41年(1966)5月29日栗子ハイウェーが開通すると、自動車道として活躍した萬世大路も通行が無くなりました。
明治の栗子隧道に関わる記念の石造物草木の陰になり人目につかなくなったため、萬世地区明治百年記念実行委員会事業のひとつとして川越石の新旧国道分岐点に集積することとしました。作業は昭和44年8月1日に行い、記念碑は同年9月30日に建立しました。
その後、平成2年11月開園の記念碑公園に移転しました。